白く広大なその大地には、見る者を圧倒するような絢爛な宮殿があった。
豊かな緑を湛えた森と穏やかな碧なす湖に包まれた、鮮やかな極彩色の風が吹く太陽の恵み多き国。

太陽王の異名を取る若き王は正に太陽に等しく、心からの忠誠の対象に相応しい。
王を支えられるという無二の誇りを胸にした執政官を筆頭に、尽きない情熱を秘めた王の民は心から王を慕い、忠誠を誓い、命の全てを国に──王に、捧げる。

毎日に退屈する暇もないほどに勤勉で、隣人を思いやれるほどには満ち足りた、平穏で変わらない日々。

極彩色の風はいつまでも鮮やかなまま、この国の空を遠く高く渡る……。



彼に与えられたたった2つの物は、与えた者の意図に反して最良の贈り物だった。

寡黙な養い親は、親としては多少相応しくなくとも、師匠として仰ぐにはこれ以上なかった。
切り立った崖の中腹に岩を削り出して作ったような岩牢のような家は、用心深さと深い知識を彼に与えた。

冷たい印象を与える岩肌を隠すように並べられた本棚に揃えられた蔵書は、世界中のどこを探してもこれに勝るものはなかった。
大半が養い親の趣味と実益を兼ねたもので彼が読むには難しすぎたが、養い親はいちいち尋ねにいく彼に呆れるでも怒るでもなく根気よく付き合い、尋ねる全てを理解できるまで教えてくれた。

彼にとっての世界は驚くほどの蔵書を抱えたその家で、彼の疑問に答えられないことなど一度もない養い親は神に等しかった。

勿論、本からの知識と珍しく養い親が進んで教えてくれたことから、この世界に「本物の」神がいることは知っていた。
けれど見ることも聞くことも適わない存在しか知らない神よりも、精神的肉体的な飢えを満たしてくれる養い親こそ、彼にとっての神だった。

「スゥは、まるで全能の神のよう」

年に数度、その家を尋ねることの叶う養い親の数少ない友人に、一度そう告げたことがあった。
養い親の悪友を名乗るイーヴィが、それを聞いた時にとても困ったように笑ったのを覚えている。

「あいつの前でそれを言ってやるなよ。あいつは誰よりも自分が全能でないことを知っている。…… まぁ、お前の目から見ればあいつは神に等しいだろう、オレにとっても実はそうさ。けど自分が全能ならざるを知っている者に、その言葉はちと残酷だ」

やめてやれと、ひどく哀しそうに笑ってイーヴィが髪を撫でてきたから、彼は黙ってそれを受け入れておいた。

全てに答えを与えてくれる養い親にも聞いてはいけないことが存在することは、そんな風に教えられた。
けれど尋ねることを禁じられたことはなかったから、「何」が彼にとって禁忌なのか。

尋ねたその日まで、気づかなかった。



それはとても唐突で、珍しい「客」という形をしていた。

連れ立って来たイーヴィがそれを歓迎していないのは空気で分かったけれど、養い親が追い出せと命じたわけでもなかったので彼はあくまでも「客」と認識して挨拶をしたのに。

それは彼を見つけるなり顔を顰めて、汚らわしいミザラガの生き残りがと憎々しげに吐き捨てた。

そのまま侮蔑と呪いの言葉を連ねた客は、即座にイーヴィと養い親による制裁を受けて見る影もなく追い出されたが、既にばら撒かれた悪意の種は確実にそこに根付いていた。

「ミザラガって、……?」

いつも通り、それは何気ない疑問でしかなかったはずなのに。

イーヴィは彼にかわって嘆くように顔を顰めたけれど、彼のことも養い親のことも止めてはくれなかった。

「──座りなさい。お前が望むだけのことに答えよう」

養い親は何か言いたげなイーヴィに気づかない顔をしていつものようにそう言うと、彼に椅子を勧めながら机に凭れかかるようにして話し出した。



リナリーより遥か西の彼方、広大な大陸の東端に緑なす森と湖があったこと。
それに囲まれた豊穣なる大地と、そこに住まう太陽の民を俗にミザラガと呼んでいたこと。

太陽の民は総じて褐色の肌をしており、何より体に「黄金の徴」を持っていたこと。
王族やそれに近しい者は、その徴を瞳に持っていたこと。
その瞳の徴をして精霊を視ることが叶い、王に至っては太陽神の「力」を振るうことが叶ったこと。
ミザラガというのは正確には「太陽王」と、彼らの持つ「瞳に現われた黄金の徴」を差したこと。

どれだけも豊かに繁栄した国であり、永く続く幸せを太陽神に誓われた国であったこと……。


淡々と語られるそれに胸を熱くしながら目を輝かせて聞き入っていた彼に、養い親は静かに鏡を差し出した。

「お前もまた、ミザラガだ。瞳と、額にある太陽神の神象がその証。──太陽に従う若き鷹の子。お前の父にもまた、同じ神象があった」

厳かに告げられた単語はあまりに耳慣れないそれで、鏡に映る自分の瞳と額を見ていた彼は自分でも呆れるほど鈍い様子で養い親へと視線を変えて聞き返した。

「父親……。オレにも、父親がいた?」
「父も母も。姉もいたろう」

知っているはずだとばかりに告げられたそれに、彼は頭の中を掻き回されている気分でぎゅっと肘掛けを握り締めた。

それ以上は聞いてはいけないと頭の奥のほうで警鐘は鳴るが、それが多分に無駄な努力であることも薄々気づいていた。
彼の養い親は彼にとって神に近かったけれど、その神はとても容赦がないことを知っているから。

偽りを聞かされないことが、きっと養い親の受けてきた唯一の慈悲の形だったに違いない。
だから如何なる時も養い親が偽りを口にすることはない──それが、どれだけの救いになる時でも。

養い親は自らの知る慈悲に基づいて、知り得る全てのことを誰に対しても公平に詳らかにする。
例えば彼をどれほど残酷に打ちのめす事実であったとしても、それを恐れて尋ねることをやめたとしても、養い親は何も偽らないかわりに惨い事実の全てを隠さずに話すだろう。

「オレの家族は……、」

聞きたくなかったそれをどうしても震える声で呟くと、どこにと尋ねるより早く養い親は彼の目を見据えたまま断言した。

「滅んだ。太陽王と共に」

いつも通りの養い親の淡々とした口調は、その事実の衝撃を何も和らげてはくれなかった。

知りたくなかった事実から目を背けることも許されなかった彼は、よろけそうになる身体を肘掛けを握り締めることで何とか支えながら縋るように養い親の瞳だけを見つめる。

「どうして……、災害でも、」

言いながら、まだ新しい歴史書に黒く塗り潰された箇所があったのを思い出していた。
自らの欲望の為に滅びを招いた愚かな王の挿話が、実際に近くあった事実であったことを何かで読んだ気がする。

「ミザラガは太陽王のある国だ。生半なことでは滅びぬ」
「王に太陽神の加護ある限り、滅ぶことはなかった……? それじゃあ、王が太陽神に背いたのか?」
「──あれはそのようなことをせんよ」

じっと彼を見据えたまま答える養い親の瞳が、僅かに翳った気がした。

「それじゃあ、太陽神はどうして王を見捨てたんだ」

嘆くように尋ねた彼に養い親は少し辛そうに顔を顰めて、それでも目を逸らさないまま告げた。

「私が、太陽神の加護を取り除いた」

性質の悪い冗句だと呟きかけたけれど、頬が引きつって上手くいかなかった。

偽りを自らに禁じた養い親の深い深い瞳が急に薄っぺらく信じ難い硝子玉に変わった気がして、気がつけば彼は悲鳴のように叫んでいた。

「どうして!? どうしてスゥがそんなこと……、そのせいでミザラガは滅んだのか!? オレの! オレの家族を……、スゥが殺したのか?!」
「やめろ! スゥの警告を聞かなかったのは王だ。あいつは自ら滅びの道に突き進んだだけで、スゥは関係ない」
「太陽神の加護を奪ったのに!?」

怒鳴るように諌めてくるイーヴィに思わずカッとなって怒鳴り返すと、手を上げそうだったイーヴィを止めたのは養い親だった。

「私が加護を取り除いたは事実だ。ミザラガを滅ぼしたのは私だろう。──お前の親御を殺したも、また私だ」

静かに、相変わらず淡々とした口調で語られるそれに頭を殴られたような思いがして、彼は血が滲むほど唇を噛み締めた。

「待てよ、スゥが言ってることは確かに事実だが真実じゃ、」
「オレだけ」

イーヴィの言葉を遮ってぽつりと呟くと、養い親がイーヴィを手で制して静かに見下ろしてきた。

「どうしてオレだけ、ここにいる……っ!」

まるで悲鳴のように尋ねた彼の言葉に、養い親は初めて僅かに視線を揺らがせた。

「それが、あれの──太陽王の、最期の望みだった」

話すことがこんなに苦痛そうな養い親は、初めて見た気がした。


彼にとっての禁忌は、養い親にとっても禁忌だったのだと。
自分でも止まらない思いを言葉にならない声で喚いて激しく泣きながら、彼は頭の片隅で後悔していた。




初めて訪れた故郷は、頭の中で思い描いていた全てを悉く裏切った。

焼け爛れた大地、煤けた廃墟の数々、黒く何の実りも与えない焦げた大木の根に、黒くくすんだ風。
その風に煽られる度に嘆く打ち棄てられた国と、僅かずつ風化していくのは歴史。

無残な屍をそこに晒し、弔われることなくやがて永い月日をかけて大地に、風に還り。
豊穣なる緑がもう一度その腕を広げて全てをその下に覆い隠し、ようやくそこに栄光なる過去を振りきれるほどの贖罪が完成する──。

朧げに、そう考えていたのに。信じていたのに。


ざぁと、目の前を吹き抜けて行ったのは赤茶けた風。
乾いた砂を舞い上がらせ、乾燥した空気に何の潤いも与えず、物悲しく沈黙したままやがて枯れた大地に渦巻いて消える。

彼の目前に広がるのは、どこまでも広大な枯れた大地。
何も生まず、何も育まない。人が暮らしていた気配など微塵もなく、侘しい風が吹いて消えるだけの土地。

「これが──オレの、故郷」

呟いた言葉はひどく渇いていて、まるで自分の声には聞こえなかった。
同じように目の前の光景もどこか余所余所しく他人事のようで、小さな笑みが口許を彩った。

「何も、ないな……」

何もない。記憶を僅かなりとも刺激する「何か」を、そこは持ち得なかった。

これが禁を犯した罰、報い。
絶対神が禁じた獄界に触れて、破滅を呼ぶ蒼なる炎を招んだ太陽王が犯した罪の証。

「オレの姉は、とても幸せな人だったんだろうな」

小さな呟きは風が持ち上げて、空に届く前にかき消した。
否定されたようなそれに思わず彼が俯くと、そうと髪を撫でられた気がして慌てて頭を上げて振り返った。

包帯で覆われた右目の死角に佇んで、彼が見ていた風景をずっと哀しげに、懐かしそうに、愛しげに目を細めているのは養い親だった。

「お前の姉は、誰よりも幸せな人生を歩んだ。太陽王に愛され、両親に愛され、……幼い弟は今こうして自分を悼んでいる。誰が太陽妃の人生を否定できよう」

聡明な娘だったと、養い親は彼を見ないまま呟いた。


実際にミザラガを滅ぼしたのは、太陽王が招んだ獄炎界の蒼炎と呼ばれる精霊のせいだったらしい。

絶対神がこの世界を創るより早く存在していたという、獄界の精霊が司るものは破壊。
招べる力を持つ者も殆どいないのが現状だったが、それでも敢えて絶対神が干渉を禁じるほど人の手に余る存在。

招べば最後、全てを破壊し尽くすだろう見当ならば容易についただろう。
けれど太陽妃を喪い、正気を失うほどに嘆いた太陽王が望んだのは「妃のない世界の崩壊」で。
不幸にも王には太陽神の加護があり、その力をして絶対神の封じた獄界の破壊の精霊を招び出すことが叶った。

それは正に一瞬だったという。

ふっと王宮に蒼い光が燈ったと認識した時には、太陽の民と国の大半はその蒼い炎の中に消えていた。
空までもを喰らい尽くさんとばかりに踊る蒼なる炎は、けれど大陸全土を巻き込む前に一つの咆哮を残して掻き消えた……。

後に残されたのは、何もない土地だけ。
原因を知った残された人々は、禁を犯した愚かな王の名前も、国も、あったという事実までもを歴史上に残すことを許さなかった。

だから何れ、ミザラガの名前は永久に消滅する。

王がどれだけ妃を愛していたかも。
養い親がどんな想いで王から加護を奪ったかも。
最期の一瞬に、王が養い親に呟いた言葉が何であったのかも。

殆ど誰も知らないまま、闇の女神の腕の中に埋もれていく。
やがて、この土地が枯れたまま忘れ去られていくのと同じように……。


全てを滅ぼそうとしていた王はその最期の瞬間、正気と狂気の狭間でこの国の有様をどんな想いで見ていただろうか。
最後に王を訪れた願いが……祈りが、全てを道連れにした滅びでないことだけは確かだったけれど。

彼の金色に映るこの寂しすぎる風景に何を思い、どんな想いを託して死んでいったのだろう……。

太陽王の最後の言葉を聞いたのは、王に滅びと救いを与えた古くからの友人。
必要以上のことを話すことのない寡黙な賢者は、かつてそこにあった国を──そこにある何もない景色を、相変わらず何も語らないままただ見つめている。

黙して嘆く養い親の姿から、歴史から零れ落ちた何もない故郷へと視線を戻しながら彼は片方だけ覗いている金色の瞳を僅かに伏せながら尋ねた。

「王は、最期に何を望んだ……?」

この地に再びの緑を、太陽の民の再生を?
先に喪われた妃の元への導を、国を滅ぼした自らに対する贖罪を?
絶対神の赦宥と、太陽神の今一度の加護と、──喪われた生命、全てに対する救済を──?

思い当たる全ては彼の養い親にばかり負担のかかる無理で、それでも何となく太陽王の願いを、この養い親は違わず全て叶えるような気がした。

養い親は遠く舞う風が消える様を確かめると、彼に視線を戻してきて、そうと唇の端に僅かな笑みを滲ませた。

「──お前を頼む、と」


逢ったという記憶さえもないほどの遠い過去に見た王は、そんな風に哀しく、どこか誇らしく、貴く笑える人だったのだろうか。


左目までも潰してしまわなくてよかったと心から安堵しながら、赤茶けた風が虚しく渡っていく姿を目に焼き付けた。

愚かだと後世に嗤われる王の願いも祈りも、誰が忘れてもきっと彼だけは忘れないから。
この切ない故郷を、彼だけは誇りに思うから。

「どうか、王と家族が愛したこの国に、安らかにして誇りある死が訪れますように……」


片方、今では唯一になったミザラガから滑り落ちた哀惜は、彼の握り締めた手の甲にあたって弾けた。

遅くなりましたが、サイト開設おめでとうですv
何だかとってもお祝いからも(苦笑)、リクからも離れている気がして申し訳ないですが
久し振りにない頭絞って考えてみたので一読頂けると嬉しいです。
でわでわ、これからもよろしくです♪ と、おめでとうの気持ちだけは一杯込めて! 逃げます。





 
どうも、桜井です。お友達の葉魅兎さまから頂いた素敵小説ですv
 サイト開設のお祝い&初めての小説リクエストという、有難いいわくつきの一品です。
 しかもしかも「失ったものへの愛惜」というリクエストに応えていただきましたv(T-T)v
 流麗な文運びや品のある単語使いに、書きこなして磨かれたセンスを感じますね。
 ありがとうございます、やはり貴女は私の心の師匠です(>_<)!
 
 …で、僭越ながらわたくしめの挿絵をつけてみました ←サイトへの掲載が遅れた原因(^-^;A
 古びた黄金色をイメージに、シンプル&やや民族的に仕上げてみました。
 背景のレリーフは「クラッキング」などでフィルタ加工してます。
 実験的に描いてみたのですが、けっこうハマったりで楽しかったですv

 追記:頂いたファイルに編集を加えたのですが、うちのソフトでは上手く開けませんでした(泣)。
 なので、当初の原文とは書式がいくらか変わっております。どうもすみません(T_T)。


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